このブログでは、ミニマリズムやデジタルデトックスの話を繰り返し書いてきました。その中心にいつもあるのが、「注意資源(Attention Capital)」という考え方です。
ただ、これまで私はこの言葉をきちんと定義せずに使ってきました。文脈から伝わっている方もいるかと思いますが、ここで整理しておきたいと思います。
注意資源(Attention Capital)の定義
私の定義はシンプルです。
注意資源とは、個人が“今この瞬間”に向けられる注意の総量であり、有限で、回復にもコストがかかる資源
※私のブログ文脈に沿った作業用定義とします。学術用語として定着しているというより、日々の生活設計に落とし込むために使いやすく定義したもの
そして重要なのは、それをどこに投下するかが、生活の質を決めるという点です。お金は目に見えます。時間も、まだ見えます。でも注意は見えません。だからこそ、いつの間にか漏れていきます。
なお、「注意が希少である」という問題意識自体は昔からあります。たとえば Herbert A. Simon は、情報が増えるほど注意が不足する、という趣旨を述べています。また近年は「Attention Economy(注意の経済)」のように、人の注意を希少資源として扱う枠組みも整理されています。
注意資源はなぜ枯れるのか
注意資源が枯れる原因は、大きく分けて2つあります。
- 外側から奪われる(通知、SNS、動画、ニュース、広告、無限スクロール)
- 内側から漏れる(迷い、選択疲れ、部屋の散らかり、気になるものの存在感)
前者は「デジタルの設計」が強い。後者は「環境の設計」が弱い。私はこの2つが重なると、注意資源が驚くほど削られていくと感じています。
デジタルデトックスと注意資源
デジタルの世界には、注意を奪う仕組みに溢れています。特段の対策をしない限り、私たちは“吸い込まれる側”になりやすい。
- 目的があったのに、気づけば別の情報へ流される
- 数分のつもりであったのに、30分~1時間が溶ける
- 刺激に慣れたせいで、静かな作業が退屈に感じる
私はこれを、個人の意志の弱さとして片づけたくありません。仕組みが強いのだから、こちらも仕組みで対抗する。
だからデジタルデトックスは「根性論」ではなく、環境設計の話になります。
ミニマリズムと注意資源
ミニマリズムは節約や我慢のため、という見方もあります。ただ私の場合は、注意資源の浪費を止めるための“生活設計の技術”でした。
物が多いと、生活の中にこういう“割り込み”が増えます:
- 視界に入って気になる(視覚ノイズ)
- 探す、片づける、判断する(管理ノイズ)
- 選ぶ、迷う、比較する(選択ノイズ)
物を減らすと、これらの割り込みが減り、注意が“戻ってくる”。結果として、今やりたいことに深く入れる時間が増えました。
私が目指している状態
私がやりたいのは、ストイックな修行ではありません。狙いはもっと実務的です。
- 注意資源の浪費を最小化する
- 注意資源の投下先を意識的に選ぶ
- 重要な事に向き合える状態を作る
注意が整うと、「今この時」が充実します。それは派手な変化ではないですが、生活の手触りが変わります。
私が気をつけていること
ここは“思想”というより、生活の運用ルールです。
- 入口を減らす(通知、無限コンテンツ、意味の薄いアプリ)
- 選択肢を減らす(服、道具、ルーティン)
- 視界を静かにする(部屋、机、スマホのホーム)
- 回復の時間を確保する(散歩、入浴、睡眠、喫茶店)
私は注意資源が浪費されやすいタイプだと思っています。学生時代から、YouTube、テレビ、ラジオ、スマホに“長時間固定”されやすい。だからこそ、対策は少し極端になります。
個人ではなく構造の問題
注意資源の奪い合いは、個人の性格や能力の問題ではなく、構造の問題です。そして構造の中で生きるなら、こちらも構造で守るしかない。
私の試行錯誤は、万人に当てはまるとは思いません。ただ、「最近、注意が散っている」「集中が続かない」「時間が溶ける」と感じている人にとって、何か一つでも参考になればと思っています。
おわりに
注意資源は、見えないまま無自覚なまま消えていきます。そしてこれは、だいたい大事なものの方には使われません。
だから私は、注意資源を「守る」ことを、人生の主導権を守ることだと思っています。このブログで書いてきたミニマリズムもデジタルデトックスも、結局は全部ここにつながっています。