年を重ねるにつれて、服装などの好みが少しずつ明確になってきました。それは「成熟した」というより、「選ぶことに慣れてきた」という感覚に近いかもしれません。
ミニマリズムの考え方を取り入れてから、その変化が加速した実感があります。物を減らすこと自体が目的ではなく、何を残して、何を手放すか。その判断を積み重ねるうちに、好みの輪郭もはっきりしてきたのだと思います。
ただ、ここには少し矛盾があります。私は以前、「40代でも思っていたほど大人になっていない」という感覚について書きました。その感覚は、どこか心もとないし、落ち着ききれないもので、これからも消えないのだと思います。
それでも一方で、好きなものと苦手なものは、以前より明確になってきました。この二つは矛盾しているようで同居します。「大人になりきれていない」からこそ、せめて自分が心地よくいられる選択だけは手放したくない。そんな気持ちがあります。
「好き嫌いはっきりすんのが大人だろ」
若い頃に観た映画『凶気の桜』で、こんな言葉を耳にしました。
「好き嫌いはっきりすんのが大人だろ」
当時の私は、その言葉をそのままカッコよさとして受け取っていました。好き嫌いを言い切れる人は強い。自分の軸がある。そういうものに憧れていたのだと思います。
一方で、若い頃の私は自分に自信がなく、好みをはっきりと主張することにためらいがありました。本当は嫌なのに曖昧に笑ってごまかす。選ばないことで、傷つかないようにする。結果として、どこか優柔不断になっていました。今思えば、あれは未熟さというより、防衛だったのかもしれません。
スタイルは「固まる」のではなく「更新される」ようになった
年を重ねるにつれて、好みは少しずつはっきりしてきました。ただ、それは何かが完成したという感覚ではありません。むしろ逆で、変わっていく自分を面白がれるようになってきました。
ミニマリズムがくれたのは、「減らす技術」ではなく、「更新する技術」だったのだと思います。違和感が出たら一旦止める。合わなくなったら手放す。惰性で続けない。そういう態度が、生活のあちこちに浸透してきました。
私にとっての「心地よいスタイル」
ここからは、今の私が心地よいと感じているスタイルを、四つの領域に分けて書いてみます。どれも派手な話ではありません。ただ、こういう細部の選択が、生活の輪郭を作っている気がしています。
洋服:1シーズンを1〜2パターンで回す
私は季節ごとに気に入った服を着続けます。1シーズンに着る服は、1~2個のバリエーションを着まわすだけです。ボロボロになったら買い替えて、問題なければ翌年も使い回します。
選ぶ基準はだいぶ定まってきました。なるべく品質が良くてヘビーローテーションに耐えられるもの、洗濯しやすいものを選ぶようになりました。
手放すときはユーズドショップへ売ることにしています。余談ですが、良いものを買うとボロボロでも意外にちゃんと買取してもらえます。
「いいものは長く使える」というだけでなく、「最後の出口まで設計できる」ことも今の自分には心地いいです。
住環境:敷布団と机と椅子だけ
部屋にある大きな家具は、敷布団と机と椅子くらいです。今の生活で余計に感じられるものは持たないようにしています。
こちらも品質が良く、デザインがミニマルなものを選ぶようにしています。色味も揃えて、生活の中に余計なノイズが入らないようにしています。
物が少ないと、掃除が楽になることに加えて、「視界に余計な情報が入ってこないこと」が効いてきます。落ち着いて考え事をしたい時、環境が余計なノイズを出さない。そういう静けさが欲しかったのだと思います。
食事:気に入ったものを飽きるまで食べる
外食も自炊も、気に入った物を中心に食べています。もちろん新しいものも取り入れたり、行ったことのない店も試したりもします。ただ基本は、気に入った物を飽きるまで食べ続けるスタイルです。
最近はサブウェイやサラダ専門店がお気に入りです。自炊は長年納豆ご飯が鉄板で今は飽きることが全く想像できません。
人付き合い:狭く深く付き合い、気の乗らない誘いは断る
私は今のところ人付き合いは狭く深くがいいと思っています。友人は多い方ではありませんが、今も付き合いのある友人とは深い関係が作れています。自分の悩みについては親身になってくれる友人がいるのは、本当に心の支えです。
一方で、気の乗らない誘いには乗りません。自分の時間を大切にしたいので、失礼のないよう丁重にお断りすることにしています。ただし、仕事上の必要性があるものは参加しています。
最終的には決断しますが、「何でも断つ」のではなく線引きを自分で握る感覚を大切にしています。
最後に
「好き嫌いはっきりすんのが大人だろ」この言葉が言っているのは、強さだけではなく責任なのかもしれません。選ぶことの責任、捨てることの責任。つまり、自分の選択の結果を引き受けるということです。
私は40代になっても、思っていたほど大人になっていないような感覚があります。それでも、好みが少しずつ明確になってきて、心地よさの基準ができてきました。そこについては、確かに前に進んでいる気がします。
服でも、部屋でも、食事でも、人付き合いでも小さな選択の積み重ねが、自分を形作っているのだと思います。そして、これから先にその基準が変わるのも、少し楽しみです。