私は散歩が好きです。
もともとはランニングやサイクリング、トレッキングのような、もう少し運動強度の高いものを好んでいました。けれど最近は、散歩に落ち着いています。物足りなさがないわけではありませんが、ただ歩き続ける時間は心地よいものです。
無心、です。
同じ動作をひたすら繰り返していると、頭の中がだんだん静かになっていきます。思考が薄まり、周囲の音や光、足裏の感覚だけが残っていきます。散歩は基本的に自分一人の時間です。誰にも邪魔されません。
周りに警戒する必要がない状況では、景色と自分の境目が少し曖昧になることがあります。歩きながら、軽い瞑想状態に入っていく感覚です。これを歩行瞑想と呼ぶ人もいるようですが、私が散歩に求めているのは、そうした状態に近いものなのだと思います。
街をぶらぶら歩き、馴染みのない店にふらりと入るのも良いです。地図に頼らず、目的地も決めずに歩くこともあります。デジタルデトックスも兼ねて、散歩のあいだはスマートフォンをしまっておきます。持ってはいても、見ない。それだけで十分に世界が静かになります。
少し前は、旧街道を歩くこともしていました。東海道、中山道、甲州街道、日光街道。都内から放射状に伸びる道を、ひたすら辿っていきます。歩かなければ見えない景色があり、それが楽しいのです。
本当は旧街道にまつわる書籍や地図を、もう少し頭に入れておくと、さらに面白いのだと思います。そこまではできていません。けれど、準備不足のままでも、歩くこと自体が十分に価値になります。
散歩が趣味だと言うと、昔はどこか「老人のもの」という刷り込みがありました。けれど個人的には、体力があるうちこそ向いている趣味だと思っています。遠くまで歩けることも、気持ちよさを支える要素だからです。
夏でも歩きます。日焼け対策さえすれば、意外と快適です。私はアームカバーとフェイスガード、帽子、サングラスを装備して歩きます。
距離は一度に20キロほど。徐々に伸ばしてきた結果、今はこのくらいがちょうど良くなりました。帰りの電車に乗ると、歩いてきた距離が一瞬で縮みます。文明の利器の凄さを、身体で実感する瞬間でもあります。
散歩は、何かを達成するための行為ではありません。何かを生み出すわけでもありません。それでも、ただ歩くだけで静けさが戻ってきます。頭の中の余計な声が薄まり、自分の輪郭が戻ってくる感覚があります。
私にとって散歩は、体力づくりというよりも、注意資源を取り戻すための時間なのかもしれません。歩いている間、私はいったん世界から降りられます。そして気づくと、また歩きたくなっています。
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