ChatGPT以降、積み上げた専門性をどう回収するのか

もやもやの正体

最近、ずっと胸の奥に小さなもやもやがあります。不安というほど大げさではありませんが、消えません。日々の生活や仕事は回っているのに、頭の片隅に薄い違和感が残り続けています。

この感覚をうまく説明できなかったのですが、少しずつ言葉が見えてきました。それは「仕事がなくなる不安」そのものというより、積み上げてきたものの回収の仕方が、突然わからなくなった感じに近いのだと思います。

積み上げてきたもの

仕事内容の詳細は伏せますが、私は大学院を出てから、理系の知識を必要とする仕事を続けてきました。扱う領域や役割は変わってきましたが、軸は大きく変わっていないと思います。

この手の仕事には、積み上げが効くという分かりやすい特徴があります。

知識が増えれば判断は速くなり、経験が増えれば落とし穴がありそうかが見えてきます。若いころに苦労した分だけ、年齢を重ねるほど仕事は楽になる。少なくとも私は、そう信じてきました。

回収期が来るはずだった

だからこそ、どこかで「回収期」を想定していたのだと思います。20代、30代で積み上げた専門性が、40代以降に少しずつ利息を生むような形で、判断は軽くなり、同じ疲労で出せる成果は増えていく。投資で言えば、複利が効き始めるフェーズです。

ところが、ここ数年で空気が変わりました。

ChatGPTで前提が変わった

ChatGPTをはじめとするAIが、一気に日常に入り込んできたからです。最初は便利なツールだと思っていました。ただ、使い続けるうちに、便利さとは別の感情が混ざり始めました。

ロジックで勝負してきた人間の価値が、相対的に薄れていくように感じるのです。

知識の整理や論点の洗い出し、説明の整形。こういった作業をAIは驚くほど速く、しかもそれらしくやってしまいます。こちらが「あの論点も必要だったな」と思い出す前に、候補を並べてくることもあります。

あるとき、AIが出した「それっぽい整理」を見て、数秒だけ手が止まりました。助かったはずなのに、なぜか気持ちが沈みました。便利さと引き換えに、努力の手触りが変わっていく感覚があったからです。

この時点で私は、「追い抜かれた」というより、勝負の土俵が動いたと感じました。

専門性が不要になる訳ではない

ここで一つだけ、はっきり書いておきたいことがあります。よく、「AIのアウトプットの確からしさを判断できるのは、専門知識を持つ人間だけだ」と言われます。これは確かに正しいと思います。むしろ、専門知識がないままAIを使うほうが危ない場面が増えるはずです。

AIは「それっぽい答え」を出します。しかし現実の仕事では、それが正しいかよりも、正しいとして使っていいかが問われます。前提は妥当か、制約に違反していないか、副作用はないか、検証はできるか、責任は誰が持つか。このあたりは、まだ専門職の領域だと感じています。

ここは、安心材料になり得るポイントだと思います。

回収対象の重みづけが変わった

それでも、もやもやは消えません。ただ、最近は少し見方が変わってきました。「回収する対象が変わった」というより、回収対象の重みづけが変わったと考えたほうが、実感に近い気がしています。

技術系の世界では、もともと設計、制約整理、意思決定といった領域は重要視されてきました。単に正解を出すだけでなく、その正解をどの前提で、どこまで適用し、どのリスクを引き受けるかまで含めて設計することが、価値の中心だったはずです。

これまで私が強く意識していた回収は、「高度な専門知識をアウトプットすること」でした。正確さ、網羅性、整合性で評価される部分です。しかしChatGPT以降、その領域は相対的にコモディティ化しました。知識の整理や説明そのものは、AIがそれらしく担えるようになったからです。

その結果、以前から重要だったはずの領域――知識を現実にどう接続するか。AIの出力を「正しい文章」から「意思決定できる材料」にどう変換するか。誰の制約を優先し、どこまでを自動化し、誰が責任を引き受けるのか。そうした設計の仕事の価値が、以前よりはっきり意識されるようになったと感じています。

正解を出す力が不要になったわけではありません。ただ、正解そのものよりも、意思決定・検証・責任をどう設計するかの重要度が相対的に大きくなった。いま起きている変化は、そういう性質のものなのだと思います。

現場の制約条件を接続する

たとえば、こういう場面です。AIが提示した案は整っているのに、現場の制約(時間・リスク・優先順位など)を踏まえると、そのままでは通らない。

このときに必要なのは、正しい答えをさらに増やすことではありません。散らばっている制約を言語化し、何が問題で、どこまでが解なのかを定義し直すこと。そして、現実的な落とし所と検証の段取りを設計することです。

相手の言語になっていない制約を読み取り、それを構造に落とし、現実に接続する。こうした問題設定と接続の力は、もともと価値の高い仕事だったのだと思います。

ただ、ChatGPT以降、知識の整理や説明といった部分が安価になったことで、その価値が、以前よりはっきり意識されるようになった。私は、いま起きている変化を、そのように捉えています。

回収方法はまだ言語化できない

ただし、ここで正直に書いておきたいことがあります。私は、その手の能力が特別に高いとは言いにくいと思います。むしろ、ロジックに逃げてきた自覚すらあります。

だからこそ、「回収対象の重みづけが変わった」という理解までは辿り着いても、回収の方法を、まだうまく言語化できていません。

何をもって「回収できている」と言えるのか。どこに時間と注意資源を投下すればいいのか。AIを前提にしたとき、自分はどの位置に立つのが自然なのか。その答えは、まだ曖昧です。

ただ、現時点の自分の中には、暫定案が3つあります。

  • AIには「整理」と「候補出し」を任せる
  • 自分は「制約の言語化」と「検証設計」に寄せる
  • 回収の単位を「知識」から「意思決定の品質」に置き直す

この3つが正しいかどうかは分かりません。ただ、少なくとも「積み上げを捨てる」のではなく、「積み上げの使い方を変える」方向に気持ちを向けられるようになりました。

それでも専門職に残る強み

最後に、同じようなもやもやを抱える同年代の技術職の方に向けて、私なりの暫定の結論を書いておきます。

専門性は、消耗品にはなりにくいと思います。理由は、専門性が「知識」だけではなく、経験に裏打ちされた「制約の感度」や「検証の勘所」を含むからです。

AIは一般論を強くします。だからこそ現場では、一般論では落ちない部分――制約、責任、検証、段取り――の価値が相対的に上がります。ここは、40代の積み上げが効きやすい領域だと思っています。

いまは設計し直しの途中

前向きに考えたいとは思っています。AIは敵ではなく、強力な道具です。専門知識を持ったユーザーとして共存していけばいい。それが理屈として正しいことも分かっています。

ただ、このもやもやは理屈の問題ではありません。長い時間をかけて信じてきた「回収期」という物語が、静かに書き換えられている最中にいる、という感覚なのだと思います。

回収期は終わったのではありません。たぶん、回収対象の重みづけが変わっただけです。問題は、その新しい回収方法を、私はまだ自分の言葉で説明できていない、ということです。

地盤が動いたなら、その地盤の上で設計し直すしかありません。いまは、その途中にいます。この違和感を抱えたまま、考え続ける段階なのだと思っています。

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作成者: ちくはく

40代前半、会社勤めをしながら都内で一人暮らしています。 これからの人生をより充実させたいと考え、日々試行錯誤しています。 ミニマリズムとの出会いをきっかけに、 暮らしや考え方が少しずつ整理され、前向きな変化を感じるようになりました。 このサイトでは、そうした日々の気づきや学びを気ままに記録しています。 同じような価値観をお持ちの方と、つながれましたら嬉しいです。

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