20~30代の頃、40代という年齢に対してある種の完成されたイメージを持っていました。精神的にも落ち着き、感情に振り回されることも少なく、いわゆる「大人」として成熟している存在、そんな漠然とした印象でした。
新卒で社会人として働き始めた頃を振り返ると、職場にはその年齢の先輩が多くいました。今思えば、彼らはとても落ち着いていて、判断も早く、経験に裏打ちされたスマートさがあったように思います。少なくとも、当時の私の目にはかなり成熟した大人に映っていました。
ところが、自分が実際に40代になってみると、そのイメージとは少し違う感覚があります。相変わらず迷うことはありますし、感情の浮き沈みもあります。内面は想像していたほど落ち着いておらず、どこか未熟さを抱えたままになっています。この感覚は、少し意外でした。年齢を重ねれば自然と手に入ると思っていた「精神的な成熟」は、どうやら自動的にはやってこないようです。
一方で、会社の中での立ち位置を考えると、自分は年長者の側にいます。後輩から見れば、私は十分にシニアであり、発言や態度にはそれなりの重みを期待されている立場でもあります。ふとした会議の場で、自分の発言に周囲が静かにうなずくのを見たとき、内心の迷いとは裏腹に、もう「若手」ではないのだと突きつけられる瞬間があります。
内面では未熟さを感じつつ、外側では「大人」として扱われる。このズレは、40代になってから強く意識するようになりました。
独身であることが影響しているのか、と考えることもあります。ただ、それを明確な原因だと断定できるほど単純な話でもないように思います。既婚・未婚に関係なく、同じような感覚を持っている人もいるでしょう。
最近になって感じるのは、「大人」や「成熟」といったものが、年齢で決まる固定的な状態ではないのではないか、ということです。
私の中では、理想とする大人像は常に少し先にあります。今の自分よりもう少し落ち着いていて、もう少し視野が広くて、もう少し余裕のある存在。気が付けば、年齢がいくつであっても、その像を追いかけ続けているのかもしれません。
そう考えると、40代になっても未熟さを感じること自体が、特別おかしなことではないようにも思えてきました。むしろ、その感覚があるからこそ、自分の立ち位置や振る舞いを見直し続けているのかもしれません。
少なくとも今のところ、私にとって「大人になる」という感覚は、到達するものというより、追い続けるものに近いようです。
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