抵抗感のあったスマホなしの外出
デジタルデトックスの中でも、特にハードルが高かったのが「スマートフォンを持たずに外出する」という試みでした。常時ネットワーク接続が当たり前になっていた私にとって、それは想像以上に抵抗のある行為でした。
とはいえ、外出時にスマホで何をしているかを振り返ってみると、大半の時間は
- 目的のないネットサーフィン
- 急ぎではない連絡への対応
- ながら聞きの音楽鑑賞
どれも「今すぐでなくても困らないもの」ばかりでした。頭ではわかっていても、感覚としての不安は確かにありました。
手持無沙汰と機会損失への恐れ
実際にスマホを持たずに外出して、まず感じたのは強い手持無沙汰感でした。電車を待つ間や歩いている最中、無意識にポケットを探してしまう自分がいます。
同時に、こんな思いも浮かびました。「せっかく外出するなら、評価の高い店に行くべきではないか。それを逃すのは機会損失ではないか」
便利な環境に慣れすぎた結果、「最適解を取れない=損」という感覚が、いつの間にか前提となっていたことに気づかされました。
冷静に考えるとスマホは必須ではなかった
しばらくスマホなしで外出するうちに、ふと冷静になります。
- その店に行けなくても、大きな問題はない
- 即つながれなくても、困る場面は意外と少ない
- わからなければ、周りの人に聞けばよい
スマホがないことは「不便」ではあっても、致命的ではない。「ないなら、ないでよい」という感覚が、少しずつ芽生えてきました。
下を見なくなり、周りが見え始める
スマホを持たないことで、物理的にも視線が変わります。自然と下を向かなくなり、周囲の景色や人の動きが目に入るようになります。
- 建物の表情
- 街の音
- 人の話し声
世界が変わったというより、自分の注意の向きが変わった、そんな感覚でした。
地図なしで出かけるというドキドキ感
地図アプリを使わずに移動するというのは、正直なところ一苦労でした。乗り換えで迷い、駅員さんに行き先を訪ねることもありました。そのやり取りが妙に新鮮で、心地よかったのです。人に聞く、一瞬、人とつながる。便利すぎる環境では失われがちな、さりげない血の通った体験が確かにそこにありました。少し不便で、少し緊張感がありました。でも、その分生きている実感がありました。
ノートとペンだけを持って
スマホの代わりに持ち歩いたのは、ノートとペン、この最低限の持ち物だけです。空いた時間は物思いにふけるか、ノートに考えを書くか、ただ歩く。
自然と自分に向き合う時間が増え、それが心の栄養になっている感覚がありました。予定外の時間の流れや、思いがけない緊張感が、少し贅沢に感じられます。
後退するという選択
便利で効率的な社会の中で、少しだけ意図的に後退してみる。それは逃避でも拒否でもなく、距離の調整なのだと思います。
スマホのある生活に戻ることもできます。ただ、「なくても生きられる」と実感できたことは、大きな収穫でした。
終わりに
スマホなしの外出は、決して万能ではありません。ビジネスや急ぎの用事には向かないでしょう。
ただ、
- 世界の解像度が上がる
- 自分と向き合う時間が増える
そんな変化を、確かに感じることができました。それだけで、外出という行為が少し違ったものに感じられました。